平成21年お旅まつり奉納 曳山子供歌舞伎のページです。上演スケジュールや上演内容などの情報満載!!

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平成21年曳山の上演スケジュール
龍助町の起源については諸説ありますが、有力なものとしては安土桃山時代に商品として活躍した、和泉屋龍助の名前をとって命名されたという説があります。
時は天正13年(1585年)豊臣秀吉が越中の佐々成政の征伐に軍勢を出したときに遡ります.

当時、現在の龍助町は通り町と呼ばれ、小松の中の繁華街でありました。

小松は丹羽氏の所領で小松城は村上義明が城代として支配していました。村上義明は秀吉軍が6万5000の軍勢を率いて小松を通過するということで、その準備に追われておりました。和泉屋龍助も組頭の一人として小松城に詰めていました。

ある夜のこと、秀吉軍の与力である加藤左馬之助(嘉明)からの命令で秀吉の御文箱を後陣の宇喜多秀家のところへ持っていく役目を和泉屋龍助と辰巳屋仁兵衛が承りました。

この二人は加藤左馬之助から陣羽織をもらい宇喜多陣へ目指していきました。

その途中に秀吉軍中の堀軍兵士に宇喜多軍兵士が狼藉を働いたため宇喜多軍の兵士を捕虜としたことにより、宇喜多軍が取り返しにくるという争い事が発生しました。

そこで和泉屋龍助は堀軍と打ち合わせをして龍助が馬上から宇喜多軍に向けて名乗りを上げ、注目を向けたところに背後からときの声をあげさせて宇喜多軍を驚かし退散させました。龍助はその足で宇喜多陣に向かい無事に御文箱を届けることができました。

この龍助の働きに対して左馬之助は非常に感心し、自分の部下にと仕官を勧めましたが、龍助はこれを固辞し、小松の人のために働くことが望みですと伝えました。

左馬之助と義明は龍助の働きに報いるためにどうしたらよいかを思案し、町名に龍助の名をつけ末代まで名前が残るようにすることを提案しました。

通り町の人々はたいへんこの恩賞に感激して、翌日龍助を総組頭として小松城に登城し、御礼を申し上げ、通り町は龍助町に改名されました。

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